第11回 Laser 全日本マスターズ(網走ポンモイ) 
1992年 
8.22〜8.23

 レポート(Laser News bP19より)

  1.楽しい大会を終えて.....................道東F 二本柳 均
  2.オホーックの夏は暑かった!! ..............仙台F 鈴木直美
  3.やっぱり上原、マンネン2位.................逗葉F 上原弘之
  4.湯の滝って本当に大きな滝がお湯なの!!.......江ノ島F 斎藤愛子

楽しい大会を終えて.........................道東F 二本柳 均

 オホーック、快晴、高層雲、そして重い秋風が吹き出した。
夏のセーリングは充分ですか?皆さんの所はまだ少し夏はあるのでしょうから、もう少し夏を楽しんで秋のレーザーコンディションに備えてはどうですか。 

 さて先日、網走で開催されたマスターズでのことです。運営はレーザー道東フリート、クルーザーBS、ディンギーで構成する網走ヨット協会です。準備はディンギーが中心にそれぞれの都合に合せて一つ一つ手を掛け、かに網をはずし、盾の大工仕事、畑でイモ堀等の用意をしてレースを迎えました。全日本上位選手超ベテラン選手がエントリーしているためスタッフは少々緊張して、前日の受け入れ、艇の受け渡し、ウェルカムパーティーと進むうちに予想と様子が違うのです。皆さん非常に楽しそうで笑顔があふれているのです。

 レース1日目は5〜9m位のコンディション、結構辛い選手がいたのでしょうが、皆さん凄く楽しく嬉しそうなのです。スタッフのBSの者もレースを心から楽しんでいる選手に感激していました。 2日目2〜3m風向定まらずコースセットもスムーズではなく苦情がでるような具合、しかし選手に励まされ慰められ、4レースを消化することができました。そして陸に帰った本部艇スタッフが興奮して、選手が4レースフィニッシュ後、本部艇に近づき「ありがとうございました」「ごくろうさまでした」などの一言でレースを終えていきましたと報告してくれました。
 
 全日本で活躍している選手と帆走したかった者、風が吹けばフィールドへ行きたいボードセーリングの者も、選手が楽しんでいる姿勢、選手同志の思いやり、マナーの良さそして最後の運営スタッフへの心配りでこのレースの運営に携わっていることに深い喜びを抱くことができました。こんなレーザーの仲間を自慢に道内でレースに出場する選手は「ありがとうございました」を心から言えるでしょう。また、全国の皆さんもレースに、イベントに参加できたなら、進んで楽しみ、喜びを得て、運営して下さった方々に心から一言「ありがとうございました」と・・・・・。又、選手、運営スタッフも素晴らしく楽しむことができると思います。最後に、あばしりポンモイ海岸の運営スタッフから楽しいレースを開かせて頂き、そして楽しませてもらい「ありがとうございました」

                      (日本レーザー協会副会長 ニ本柳 均)

オホーックの夏は暑かった!!..................仙台F 鈴木直美

 8月22〜23日の2日間、北海道網走で全日本マスターズ選手権大会が開催された。おなじみの顔、各地の大御所が大集合した今年のエントリーはレディース8艇を含めて全部で47艇と、エントリー新記録に迫る勢いで、大いに盛り上がった大会だった。

 まず大会前日には、フリートハウスでバーベキュー大会が華々しく開催。その日私は、摩周湖、屈斜路湖と北海道の風景をたっぷり堪能し夜7時にハウスの扉を叩いたのだが、会場は既にすごいにぎわい。ウーンこれが噂のマスターズか...と納得。イカ、メロンとすでに名物ぞくぞくのパーティーの中「明日は吹くかなあ〜」とやはりレディースは気になる様子。なにせオホーックの海。どんぶきになって、北の方にどんどん流されていっちゃたらどうしょうなんて思っても仕方がない(そんなこと考えるのは私だけ!?)。

 そして大会初日。「オホーックの海は吹くか吹かないかのどっちかだよ」と聞いたので一応覚悟はしていたが、まさか9mまで吹くとは予想外だった。道東の方々は異口同音にここずっと吹いていないし絶対吹かないよ、って断言していたのに南南東の風が5〜7mで、1レース目より2レース目とどんどん風が重たくなっていった。ハルは波にがんがん叩かれるし、悪戦苦闘。トレーニングの必要性をひどく感じたのだった。

 夜はお待ちかねのレセプション。カンパイしてすぐ隣の部屋で記念写真を撮ったのだが、終わったと思った途端全員テーブルに走る走る。ターゲットはカニだ。ここぞとばかりに食らいつき、しばし無言状態が続く。毛ガニ、ズワイガニ、イカ、カニ、網走ワイン、地酒、ちらし寿司などなどおいしいものがズラ〜リで、幸せを噛みしめる私だった。

 また、各フリートの挨拶を聴いているとやはり北海道ということでたっぷり休暇をとって存分に観光しようという人がほとんどのよう。知床の露天風呂(カムイワッカ湯の滝)に入りに行ったとか、阿寒湖まで足を延ばしたとか、1年前のマスターズからこの日をずっと待ち続けていた....という計画派まで皆なそれぞれ充実のスケジュールを送ってきた人たちばかり。お土産情報もしっかり仕入れて大満足の一夜だった。

 2日目。1〜3mの風は、相当気まぐれに南から東へと廻っていった。おかげで泣く人あり、笑う人あり。午後、知床半島はきれいに浮かび上がっていて、すっかり風が落ちてパドリングに命を燃やす私たちを優しく見守ってくれていたのだった。ジャガイモ、シャケなどダイナミックなレース賞品も並ぶのも、さすがオホーックという感じ。

 「またここで何かやってよ、絶対来るから」とみんなが口々に言うとても素晴らしい大会でした。道東フリートの皆さん、本当にありがとうございました。

                                (仙台F 鈴木直美)

やっぱり上原、マンネン2位....................逗葉F 上原弘之

 今回の開催地の網走は日本の最北端であり、参加艇数が集まるか心配していたが、地元の努力の介あって47艇が集まる盛況ぶりであった。しかし一時は50艇近くになりながら、直前のキャンセル等で減少してしまったり、締切日以後の申し込みも多くあったりで大変でした。今後は開催地に極力迷惑を掛けないようメンバーの良識を期待したい。

 8月22日、23日の両日の天気はそれまで長くぐずついた夏が嘘のように晴れ上がり、レース日前後4日間は暑い北海道となってしまい、ドライスーツやフルウェットだけ持参した選手は汗だくとなってしまった。レース海面は網走港の前を横切って30分近く走った外洋で、知床半島の山並みを東にみて、南から西は穏やかな台地とわずかに網走市、北はいくら目を凝らせど陸地の見えないオホーックの海でありました。潮の主流は絶えず強弱がありながらも東から西に流れておりレースに影響を与えていました。

 1日目は年に2〜3回しかないレース日和で5〜9mの風が吹き上がり、老いも、若き(レディース)も1時間半のレースを2回も十二分に楽しんだのでした。

 第1レースは南向150度、ゼネリコ1回の後、アウターから飛び出した木村会長と、あの斎藤愛子がフリートをリードして長い上りが始まりました。そして見えない上マーク探しが選手権をさらに熱くさせました。約120度からの潮は強く短いうねりを伴いスタボーの上りを難しくさせ、トレーニング不足や前夜飲み過ぎた選手たちを徐々にあきらめの心境に追いやるのでした。第1上は風向180度にありマークの位置を確認していた絶好調の函館の高松がトップで回り、彼のライバル八戸の小笠原、寿司屋で飲み過ぎた逗葉の上原、60歳芦屋の木村(頭が下がります)、オリンピックセイラー江ノ島の斎藤と続いてサイドマークに向かい、タイトなリーチングとなるが追潮のため豪快なプレーニングにならず、サイドから下マークはサーフィングでスピードをかせぐ展開となった。
 第2上からは2艇のデスマッチになり、高松に追いすがる上原であったが、ヨガと呼吸法をさぼっているバチがあたり最後まで前には出られなかった。

 第2レースも同じコンディションで高松、上原の順位は変わらず、後はその晩のパーティーでプレッシャーの掛け合いと2日目の風次第となったのでした。
 そのパーティーは有り余るほどの毛蟹、ズワイ、タラバのカニ攻め、ホタテの刺身、イカソーメン、地元の何とかエビ、メロンにスイカ、そして生ビール、ワインに地酒、久保田の大吟醸(ニ井選手の土産)と、今思い出しても生唾ゴックリの展開に高松選手へのいびりを忘れるほどであった。

 2日目は岸寄りで風待ちとなり、軽風セイラーの出番となったが風向、風速が安定せず、潮も反潮になっている部分があり、コミッティーも大変であったが完全なコース設定は無理と見極めが早く、大まかなコースでレースをスタートさせたが結果はほぼ完璧であった。そして2〜3mの風の中、第1上は、上原、高松の順で優勝をねらう他の選手をガックリさせながら神経戦の続くなか、最終下マークまで順位はかわらず、上り2/3で完全に高松選手を押さえ込んで上原のトップが決まりと思ったが、最後まで気の抜けない海面は左からの一瞬のブローで伏兵、島根の山本が取り(これで来年のマスターズは島根の松江に決まり)、大喜びしながら第4レース目をリタイヤし女満別空港へと帰っていった。ガックリ2位上原、ヤッタゼ3位境港の村上、ヤレヤレ4位高松となり、総合優勝は高松、準優勝上原0.5差でほとんど確定してしまった。
 さらに落ちる風の中、食後の風待ちの後、短いコースながらパッパッと設定して最終レースが始まり、微風を得意とする柳ケ崎の堀口、河和の河崎、津屋崎の島本らが本領を発揮し久々の出番を楽しんだのであった。

 結果は、グランドマスターズ1位木村会長、2位オランダでのヨーロッパマスターズも参加した逗葉の柳橋、3位小樽の島田、マスターズ1位上原、2位九州から夫婦で車で来た島本、3位カメラマン大谷、アプレンティス1位高松、2位村上、3位毎日レーザーの逗葉の神野、レディース1位斎藤、2位堀口、3位一日目食あたり?で点滴のためリタイアした中野となり、ブルーキューブとお手製ステンドグラスの盾、そして全員に地元名産品もある豪華参加賞をクジ引きでいただき大満足となった。そしてこの全日本マスターズに関わったすべての人達にとって、今年の夏の楽しい思い出となったのであった。

 本当に二本柳さんをはじめとして網走、道東の皆さんお世話になりました。お礼申し上げます。

                      (日本レーザー協会副会長 上原弘之)

湯の滝って本当に大きな滝がお湯なの!!..........江ノ島F 斎藤愛子
 7月に屈斜路湖に出かけたのがきっかけになり、網走でのマスターズに行くことになりました。今まではレースというと、何かと選考がかかっているため、あまり楽しく出かけることはありませんでしたが、今回は遠足に行く小学生並に網走ど口に入るであろうカニ、メロン、じゃがいも、とうもろこし、その他の海産物を楽しみにしていました。出かける前は、温泉のことはあまり気にしていなかったのですが、有明埠頭からのフェリーの中で海をみながらお風呂に入っていたら、急に温泉が頭をよぎり、一度よぎると、私はとてっもなく凝り性なので、もう地図とにらめっこなってしまいました。
釧路に到着して、阿寒湖経由で網走に行こうという私に向かって、大谷さんは二本柳さんに連絡してから考えようと水をさすのでありました。朝の7時半だというのに、私は電話をしてしまい、阿寒湖を通って行こうとしている主旨を二本柳さんに伝えると、たいして驚いた様子もなく、ほっとしました。

 ということで阿寒湖に行く段取りができたとたんに、大谷さんは阿寒湖はいつでも寄れるから止めて、知床半島へいくのはどうかと提案してきました。地図をにぎりしめている私は距離と時間を計算して、夕方までに網走に戻ることは充分に可能なので、やはり、秘境の知床へとナビゲーションすることになったのでした。目的はカムイワッカの滝です。「湯の滝」とあるから滝が温泉になっているに違いないとは私の想像だったのですが、大谷さんは滝のそばに露天風呂があるように最初は考えていたようです。後ろにレーザーを7隻積んだトレーラーがあるのでスピードがでませんから、トレーラーは途中で昼食をとったじゃがいも苑に置いて行くことにしました。

 途中では道路に出てきたキタキッネにも会ったし、熊注意の表示も見ました。カムイワッカのあたりでは今も熊の天国なので、朝晩は行っては危険だそうです。熊も滝で温泉に入るのでしょうか。

 とうとう到着したカムイワッカは沢を歩いて滝壷まで登っていきます。最初はぬるい水なのですが、硫黄山から涌き出てくる温泉と地下水が混ざって流れてくるため、上流へ歩けば歩くほど適温になっていきました。沢の壁側をつたわつていくときには熱い湯が吹き出している岩がありました、20分くらい登った滝壷が最後ということだつたので、そこでボチャンと湯に入り、記念に写真を撮ろうとした瞬間(大谷さんは彼に背を向けていたので、私が誰に手を振っていたのかは知りませんでした)、なんとニ井さんの顔がヌーと登場したので、思わず大笑いになってしまいました(まぁ、オリンピック選考レースで負けた後、スペインの最南端のタリファで男子チームとバッタリ会った時ほどの驚きはありませんでしたが)

 レースの内容はどなたかが報告なさると思いますので、私の旅の方に集中させていただきました。網走の皆さん、楽しいレースをありがとうございました。私がミーハーに話しまくるため、留守番だった野上さんは来年の宍道湖には行こうと決めているようです。もっと詳しいことは「ヨッティング誌」11月号にレポートを書きますので、期待していてください。

                                  (江ノ島F 斎藤愛子)
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