第14回 Laser 全日本マスターズ(高知手結浜)
1996年 8.24〜8.25
この大会に北海道からは高松(函館市)が一人参戦し総合10位、マスターズクラス3位と孤軍奮闘した大会です。
 レポート
  (Laser News bP44より)

 坂本竜馬よ、また来るぜ!!.................津F 古田勝彦 

 高知マスターズは遠い所にもかかわらず72艇が集まった。
透明な太平洋、きれいな景色、食いきれないカッオ。困難をカバーしての地元高知フリート、若手中心のレース委員達の懸命な運営など、気取らないおおらかな雰囲気が心に残る素晴らしい大会でした。以下、例により自分中心にレポートします。

 1日目のレース終了後、フルタは有頂天なりたいのを必至でこらえていた。何とワタクシが総合トップ争いをしているのである! 普段は津の3軍仲間の亀ちゃん、ヨッシーとフリートレースで常に壮絶なドベ争いをし、地方選手権ではいつも真ん中より少し上の上品な成績を目標にしているこの私がである。

 この日一日私はなんと栄光に包まれていたことだろう。凱旋の着岸。船を浜に上げて、ヤッホーと叫んで、その場でコサックダンスでもしたいのを必至で我慢し、何か深い悩みでもあるかのように人前では無理にしかめっつらする。が、両頬の筋肉が嬉しさで堪え切れずピクピクしている。柳ケ崎のアコに「フルタさん、どないやった?」と浜で聞かれるやいなや、「良く聞いてくれた!いっやあー、高知の水は坂本竜馬の瞳のように澄んでいたよ。竜馬が今日そばにいて僕を守ってくれたよ」などと自分の意思と無関係に口がペラペラ勝ってに動くのを止めることもできない。今度新艇を買ったらスターンに書くのは「平成海援隊」か「土佐の南風」がいいか、それともシンプルに「竜馬が行く」にしょうか、あれこれ考えていると、本部テントで芦屋・森さんが「何番だった?」と僕に質問してくる。「9位と、ふたつめが3位です」と答えると「9−3か。俺が8−2だから、同じやな」と、あの森さんがこのワタクシにボソッと云う。かと思うと、シャツは何がいいかと誰かと話しをしていた治愛さんが通りすがりの私の着ていたシャツを見るや「そうだ名選手に聞いてみよう」などと云う。私は「とんでもないっスよ会長、ウインドの店で買った安物っスよ」と即座に謙虚に答える。いやもう、これが我が人生最良の日でなくてなんであろうか。

 かくして翌2日目の早朝6時、浪打ち際でギ装を済ませた私の艇のすぐ横に、竜馬のノボリが高く、ヘンポンとひるがえった。土佐の海に坂本竜馬が良く似合う。

 悲劇ハ、イツモ突然だ。スナワチ、08:00AM「リコールbS2フルタ 第2レースPMS」ノ凶報入リタル白イ紙ナリ。3のハズが73の大量得点に化けている。これで亀ちゃん、ヨッシーと一挙に並んでしまった。勿論この2人はとたんに勢いづいた。

 おとなしかったヨッシーは「大ニュース、大ニュース」とサポーターの笠見夫婦に吠えまくり、おととい桂浜への観光に強硬に反対した亀ちゃんも「フルッタさん、賭けよか!もしワタクシが総合であんたに勝ったら、あの竜馬の旗にマジックで亀とサンズイを私が書き加えて、竜馬を亀瀧馬(カメタキウマ)に変えてあげますわ!」などとカサにかかってプレッシャーをかけてくる。このような苦境の時にこそ、ほがらかであったに違いない竜馬を思い、私はこの掛けに明るく同意した。

 こんな事なら昨晩レセプションの土佐鶴冷酒を浴びるほど飲むんだった。俺はこっそりウーロン茶飲んでいたよ。まだたっぷり皿に残ってたあのカッオ、もっと食うんだった。貝の混ぜ御飯みたいな珍しい料理も無理をしたら腹に詰め込めたのに。とれたての刺身も残っていた。高知まで来て暴飲暴食を慎んだ俺は馬鹿だった。今朝5時に沖夫婦岩の隣の手結岬で日の出を拝み、何とか踊りの小さな竜王様のホコラに20円賽銭やったのに、金返せ。海岸まで歩いてマストとノボリを立て、サイクルターミナルに戻り、何もなかったかのように涼しい顔をして朝飯を食ったのに、責任者出てこい!

 結果は成績表の通り。私のシングル入賞は、土佐の夜の夢に終わった。

 今回は軽風から順風、バウを叩く波のある海面だった。強風であれば順位は恐らくガラっと変わっていただろう。私のチャーターした船は11番代で古かったが、軽くて良く走った。私にとって千載一遇のチャンスだった。しかし上位10艇の殆どを占めた九州・四国勢はいずれも素晴らしく、圧倒的な強さで優勝した福岡の高木、4レース目トップを引いた高松の兼安嬢、恐ろしい上り角度で速くシビアなコース取りの小森嬢が印象に残る。

 しかし最も目を引いたのは、初めて会った高松の中山道照さん59才である。72杯中4位、GM優勝。毎回トップ集団にいたあのブルーの船は、自然体でふだん練習で固めていることをまざまざと感じた。台形コースのフィニッシュ間際、ブランケットを後からかけて水を取りにいったフルタに、すぐさまセンターを降ろして応戦したあのオヤジ(失礼)の根性には脱帽した。私も、将来ああなりたい。

 地元文野キャプテンは、運営兼選手で準備疲れのためか成績は今ひとつだったが、各マークボートの若い衆からやんやの声援を受け、人望を伺わせた。亜熱帯系のボーヨとした風貌の文野さんは、2日目朝6時前には本部にいた。心から敬意を表します。

 ブンちゃん、坂本フルタは、また来るぜよ!

                                   (津F フルタ勝彦)

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